ハワイに住んでいると日本で起こった事件や事故を忘れてしまいがちです。
たまたま今日の朝、ネットを開いたら「あの日から15年・・・」というタイトルのニュースを見つけました。
日本は今日は3月20日、15年前の今日、あの「地下鉄サリン事件」が起こりました。
アタシは当時、横浜に住んでいました。あの日のことは鮮明に覚えています。
アタシは横浜の東横線沿線に家があり、バイト先はそれに直結している日比谷線の六本木でした。
朝、慌ただしくバイトに行く準備をしているとテレビ画面の上のほうにニュース速報が流れました。
「日比谷線全線ストップ」と書いてあります。
アタシはバイト先の六本木へ行くために日比谷線に乗らねばなりません。
これはどうしたものか、と六本木駅に電話をしました。
「あの~、ニュース速報見たんですけど地下鉄止まってるんですか?」
駅員さんもまだ情報を把握できていないらしく混乱しているようです。
とりあえず得られた情報は「神谷町駅で発火事故があり駅が閉鎖されているため全線ストップ」
ということだけ。
それに付け加えて「地下鉄が動いていないから一旦渋谷に出て渋谷からバスで移動しろ」
というアドバイスだけでした。
アタシは仕方なく駅員さんの言う通りに渋谷に出ることにしました。
電車に乗り込むといつもと変わらない風景。一体何があったんだろう・・・
そしてその状況が一変したのは渋谷駅に着いた時でした。
渋谷駅のロータリーにはおびただしい数のパトカー、救急車、消防車・・・
バス停には地下鉄に乗れず足止めをくらった人が長蛇の列を作っています。
アタシも急いで列に並ぶとアタシの前には100人くらいの人がバスを待って並んでいました。
何があったのかわからないのにこの物々しさ・・・嫌な胸騒ぎがしました。
バスを3台くらい見送ってやっとバスに乗り込みバイト先に向かいます。
渋谷から六本木までの道中も何台ものパトカーや救急車とすれ違います。
やっとのことでバイト先に着くとアタシ以外誰も出勤していませんでした。
きっとみんなアタシのように足止めをくらっているのでしょう。
バイト先でもテレビをつけました。
でもまだはっきりした情報は入ってきておらず、テレビ局も混乱しているようです。
そうこうしているうちにバイト先にも次々スタッフが遅れながらも出勤してきます。
でも誰も状況は把握できていません。
不安な気持ちを抱えながら仕事をしていると1本の電話が鳴りました。
母親からでした。
「まゆみ、大丈夫だった?サリン。」
「えっ?サリン???」
ここで初めてアタシはこの事件が、あの世界中を震撼させた「地下鉄サリン事件」だと言うことを知ります。
お昼前のことでした。
その頃になり、ようやくテレビでも情報が入り始め、日比谷線以外にも千代田線や丸の内線でも同じ
事件が起こっていると言う事、どうやらお亡くなりになられた方もいるようだと言うこと、そしてこの事件
がオウム真理教によるものだということを知りました。
アタシは10時出勤なのでいつも家を9時過ぎに出ている。
もし出勤時間が9時だったら・・・
そう考えたら急に足が震えはじめました。
そしてその時、もう1本アタシあてに電話がかかってきました。
当時お付き合いをしていた彼氏からでした。
アタシはアタシの安否を心配して電話してきたんだろうと思っていましたが
その答えは大きく覆されることになります。
彼は当時、見習いの報道カメラマンをしていました。
そして事件当日の早朝、偶然にも神谷町駅前でとある企業の不正融資事件を
取材するために彼はカメラを準備していました。
準備も整ったしそろそろ行くか、と言うその時、口元を押さえたサラリーマンやOLが
波に押し流されるかのように階段を上がってきて彼の目の前で次々と倒れました。
先輩カメラマンに「これ、何かの事故だ!行くぞ!」と促され、
そこは報道カメラマンとしての性なんでしょう。
カメラを背負って階段を下りて行く先輩の後を追って、彼も駅構内へと下りて行きました。
その時に撮影した映像はいまだに地下鉄サリン事件のニュースの際に流れています。
そしてこの映像を見るたびにアタシはこの日のことを思い出すのです。
アタシが彼に安否を気遣われる立場から一転して、アタシが彼を心配しなくては
ならない立場になりました。
事件直後の駅構内。当然、彼もサリンを吸っています。
そして息が苦しい、とか目がチカチカして見えない、と言っています。
アタシは彼にすぐに病院に行くように言い、電話を切りました。
幸い彼は大事には至らずホッとしたけれど、この事件で13人もの方が命を落としたと知って
なんとも言えない悔しさと憤りがアタシの胸を締め付けました。
なぜ何の罪もない、恨みもない人がこんな事件に巻き込まれなくてはいけなかったんだろうか・・・
そしてそれと同時にこんな怖ろしい事件が決して他人事ではなく、自分の生活と隣り合わせに
あるんだ、ということを強く実感しました。
もしかしたらアタシだってあの日、あの電車に乗っていたかもしれないんだ、と・・・
事件からはあっという間に15年経ったけど、決して遺族や被害者の痛みが消えることはない。
いまだに事件の後遺症に悩まされている人もたくさんいると聞いた。
きっと大きく人生を狂わされた人だってたくさんいたと思う。
「不条理」なんて言葉がこの世に存在してもいいのだろうか・・・
決して風化させてはいけないこの事件。
アタシもあの日のことを忘れないために今日、この日記に記しました。
写真もない長い文章でごめんなさい。
しかもアタシらしくないブログですいません・・・
15年前の今日、お亡くなりになられた13名の方のご冥福を心よりお祈りいたします。
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